淡島神社の歴史・御祭神・御由緒
淡島神社の歴史・御祭神・御由緒
当宮の歴史
当宮は、人皇第七十九代 六条天皇の御代(西暦1165年~1168年)紀国加太の淡嶋神社を勧請したと伝えられています。
旧境内地には、樹齢約八百年と推定される大槭(昭和三十二年八月五日県天然記念物指定)が存在し、古い歴史を物語っていましたが、昭和三十三年開通の北九州都市高速道路にかかり、現在地に遷座致しました。
昭和五十九年に社殿の全面改築・境内の整備等了えて今日に至っていますが、殊に女性の幸福を御守護下さる高い御神徳を仰ぎ、お蔭をいただく人々は、地元市内一円はもとより遠く県外にまで及び、正に地方の総社として鎮まっています。
御祭神:少名比古那神
御由緒
御祭神の少名比古那神は神産巣日神の御子で手俣からお生まれになったという小さな神さまですが、神代の昔、大穴牟遅科神すなわち大国主神と共に心を一にし力を戮せて此の日本の国土を御経営になり、人々だけで無く、鳥や蓄に至るまで諸病を治す薬方をお定めになると共に裁縫の道を広められた、いわゆる医薬・裁縫の親神さまと称えられる御神徳の高いお神さまであらせられます。
一説によると「天照大御神の女で、住吉大神の后になられた『あはしまさま』が婦人病を患ったため海に流されてしまう。お嘆きになったあはしまさまは、『この悲しみから世の女性を救いたい』と仰せになり『紀州加太』に祀られた。」とあります。
この淡島さまの祭日が三月三日であったことから雛祭りとも結びつき、淡島を祈れば婦人病に罹らず丈夫な子を授かると信じられたのです。
淡島神社の月例祭が三の日に行われるのも、これに起因しているのでしょう。
要するに、淡島さまは正装でお参りする面と、普段着で親しくお参りできる面の両面相俟って中世末から近世にかけて、その信仰は全国各地に広まって行ったのです。